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条約名
アジス・アベバ基本条約
署名二千二十三年一月一日
署名場所アジス・アベバ
効力発生二千二十三年一月一日
締結国二か国
主な内容二か国の基本条約

概要

 エチオピア帝国とイスラエルの民との歴史は古く、エチオピア帝国建国に密接にかかわっている。現在のエチオピア高原を統治している女王マケダは商人タムリンからイスラエルの名君主ソロモン王の話を聞き、彼を訪ねたという。女王マケダはソロモン王と子をなし、エチオピアでメネリク1世を生んだ。ソロモン王はエチオピアに第二のイェルサレム建設計画を建て、メネリク1世をイスラエルの王とした。エチオピアに派遣されたアザールヤースはこれを不満に思いイェルサレムから「契約の箱」をエチオピアに持ち出したといわれている。神の御所はダブラ・マケダに移され、メネリク1世は正式に神の民の王となった。このようにエチオピア建国とイスラエルの歴史は密接にかかわっているのものの、その事情からエチオピアとイスラエルの関係はここでいったん途絶えた。
 次にエチオピアとイスラエルの民の関係が生まれたのは70年にイェルサレムが陥落した時である。イェルサレムが陥落すると第二のイェルサレムとしてソロモン王の手によって計画されたダブラ・マケダを目指し多くのイスラエルの民がエチオピア帝国に落ち延びてきた。エチオピア帝国は古い兄弟を救援する目的で多くのイスラエルの民を受け入れた。132年のバル・コクバの乱の際もエチオピア帝国はイェルサレムに軍を派遣し、イェルサレムの民とともにローマと戦った。バル・コクバとラビ・アキバのイスラエル支配を全力で支援し、コインの鋳造やイェルサレムの神殿再建などに技術者を派遣した。ユリウス・セウェルスがその軍をイスラエルに進めるとエチオピアの猛将タタディムは5000の兵を率いてイェルサレム救援に向かい、バル・コクバとともに肩を並べて戦って、ユリウス・セウェルスを撃破したという。しかしティネイウス・ルフスが大軍勢(一説に二万とも三万とも)を率いてイスラエルに侵攻すると、タタディムとバル・コクバは戦線を後退させた。タタディムとバル・コクバはティベリアス湖北西のタブハに防衛陣地を築いた。この陣地は土嚢と柵でできた簡易的なものであったが、騎兵が中心であったローマの先遣隊を壊滅させた。タタディムは一計を案じ、防衛線に油を撒いた。この油はエチオピアの鉱山で見つかった油田から来たと言われているが、定かではない。ティベリアス湖畔の湿地に油はよく浮き、無防備に攻め込んできたローマの重装歩兵の足を滑らせた。しかしいかに地の利を味方につけようとも、万を優に超えるローマ軍に戦局は悪かった。ついに防衛陣地を突破されると、タタディムは油に火を放った。湿気った藁に火は着きづらく、3度着火に失敗したが、4度目で成功し、油を媒介にローマ軍を焼き払った。エチオピア・イスラエル連合軍はティベリアス湖に脱出し、南西のティベリアに上陸した。タタディムは防衛陣地を築いてローマ軍を待つことを主張したが、バル・コクバは再進撃してローマ軍の不意をつくことを主張した。2人はコイントスをしてその結果バル・コクバの主張にしたがいローマ軍を索敵した。ローマ軍はアルベル山で陣地を築いている途中であったため、バル・コクバは軽装の精鋭を率いてこれを夜襲、ローマ軍が体勢を整えたところにタタディムがこれに加勢してローマ軍を撃退した。壊滅し敗走するローマ軍に威勢をよくしたエチオピア・イスラエル連合軍はこれを追撃したが、ティネイウス・ルフスを討ち取るまでには行かなかった。エチオピア・イスラエル連合軍は三日三晩にわたって勝利の祝宴を行ったという。しかし、エチオピア・イスラエル連合軍の勝利は極めて局所的なものであった。ローマ軍はエチオピア・イスラエル連合軍の主力がティベリアス湖でローマ軍の主力と決戦をしている最中に地中海からテル・アビブを襲撃、制圧していた。ローマ軍の侵略は苛烈にして迅速であったため、タタディムとバル・コクバがこの真実を知ったのは祝宴の最中だったという。タタディムは怒りのあまり持っていた杯を握りつぶし、バル・コクバは呆然と杯を取り落としたという。その間にもテル・アビブにローマ軍は増援を送り続け、その数は万を超えていた。エチオピア・イスラエル連合軍はイェルサレム防衛のため強行軍でイェルサレムへ向かったが、ローマ軍はオリーブ山を制圧していた。エチオピア・イスラエル連合軍は市街戦になりイェルサレムが破壊されることを恐れてヘルツルの丘に陣を張った。ヘルツルの丘は墓地であったため多くの兵士が拒否反応を示したが戦術上そこが最も防衛に適していた。ヘルツルの丘に本陣を張り、別動隊がオラの山に潜伏してローマの本隊を奇襲する計画であった。ローマ軍が接近すると否が応でも士気は高まった。兵士たちはよく戦ったが強大なローマ軍を前に徐々に斃れていった。別動隊はローマの本隊を奇襲し、総大将アンティノウス・ホラスティスの首に一歩届かなかった。タタディムは立ったまま討ち死にし、バル・コクバは手勢を率いてイェルサレム市街にまで後退した。イェルサレム市街戦は熾烈を極め、戦闘終了までにイェルサレムに住むイスラエルの民の大半が死に、残ったものも男は足の腱を切られて奴隷に、女はその場で兵士の慰み者になり殺されるだけだった。バル・コクバは討ち死にしラビ・アキバは処刑された。逃げ延びたエチオピア軍の副官(実際には部隊長だったといわれている)はエチオピアに帰国する道中にこの戦争のことを記し、皇帝に献上した。皇帝はこの知らせを大いに悲しみイスラエルの同胞に対して優遇措置をとった。しかし、当時のエチオピア帝国には強大なローマ軍と戦うだけの兵力はなくイェルサレムの放棄を決定した。エチオピア帝国はダブラ・マケダに荘厳なユダヤの神殿を建て、イスラエルの民の精神的なよりどころとした。エチオピア国内でイスラエルの民の勢力が強くなってくるとキリスト教徒との衝突が増えるようになった。皇帝ナクト・レアブは事態を憂慮し、様々な諸宗教の融和策を打ち出した。それはキリスト教徒やユダヤ教徒を宗派や宗教によって分離させる政策が主であった。様々な政策によって諸宗教の対立が下火になると、イスラエルの民とエチオピア帝国の関係は再び平穏なものとなっていく。
 次にエチオピア帝国とイスラエルの民との間であった重要な出来事は、636年の東ローマ帝国が正統カリフに敗れ、イスラエルをイスラームが支配するようになったことである。アラビア半島と密接な関係があるエチオピア帝国もイスラームの影響を多大に受けた。国内のキリスト教徒、ユダヤ教徒との摩擦が起き、互いに互いを敵視する宗教闘争が国内で多く行われた。急速に勢力を広げるイスラーム勢力から逃げ延びてきたキリスト教徒やユダヤ教徒がエチオピア帝国で定住するようになると、国内のイスラーム教徒との摩擦は最高潮に達した。エチオピア帝国の都市メケレで発生したキリスト教徒による暴動は多くの死傷者を出し、全国に広がるかに見えた。皇帝ジャン・セヤムはエチオピア帝国陸軍を出動させ鎮圧を命じるとともに棄教の発布を出し、各地に巡幸を行った。棄教の発布とは、皇帝が如何なる宗教も優遇せず、すべての宗教的権威から切り離された絶対者の代弁者であるという内容であった。皇帝ジャン・セヤムは共通の預言者であるモーセの十戒を持ち出し、殺害と姦淫を禁じた。そして、州知事に二週間に一度異なる宗教の教徒たちを集め、討論会を開催し、日曜日には彼らで宴を行わせることを命じた。もともとのエチオピア帝国臣民はエチオピア正教の信者が多かったため、事態の鎮静化を図る皇帝に協力的だった。皇帝ジャン・セヤムの発布は平和を望む民に受け入れられ、暴動を起こしたキリスト教徒は処罰された。しかし、エチオピア帝国臣民の数の暴力で押さえつけるかのような解決方法は、再び噴出した不満を押さえつけるには足りなかった。1099年、第一回十字軍遠征が行われイェルサレム王国が建設された。国内で十字軍賛成派のキリスト教徒とユダヤ教徒、イスラーム教徒は対立した。キリスト教徒内部でも十字軍賛成派と反対派、中立派に分かれ互いに相争った。十字軍賛成派のイスマ・エマニュエルによってユダヤ教徒の青年オスマが殺害される事件(イスマ事件)が起こると、ユダヤ教徒とキリスト教徒は決定的に対立し、一部のユダヤ教徒とイスラーム教徒による反キリスト教連盟が結成された。反キリスト教連盟はキリスト教の教会を襲撃するなど暴力行為に走ったためキリスト教徒たちも次第に先鋭化し、聖地ダブラ・マケダに火が放たれるまでに至った。幸いすぐに消されたが、ユダヤ教徒たちの世論は完全に反キリスト教に傾き、その波はエチオピア帝国軍内部にまで波及した。エチオピア帝国の諸貴族は手勢を率いて対立する宗教の貴族と争い、国内は大混乱に陥った。皇帝ゲルマ・セイユムは諸侯を一人一人説得し、事態の解決にあたろうとしたがイスラーム教徒のボラマ伯爵に殺害された。跡を継いで即位した皇帝ケドゥス・ハルベ1世は逆賊ボラマ伯爵の討伐を掲げ諸侯を集めた。およそ半数の諸侯が皇帝ケドゥス・ハルベ1世の下に集ったが、残りの半数はそれを無視して戦争を継続した。皇帝ケドゥス・ハルベ1世はボラマ伯爵を討伐した後その領地を特に勲功のあった貴族に下賜し、皇帝の下に集わなかった諸侯を逆賊とした。皇帝ケドゥス・ハルベ1世の下に集った諸侯は皇帝の権威の下逆賊を討伐し、その領土を勲功順に下賜されていった。こうして皇帝ケドゥス・ハルベ1世は宗教的な混乱を収め、貴族たちの心をつかんだのである。
 イスラーム勢力の攻撃によるイェルサレム王国滅亡の際にも若干の混乱はあったものの、エチオピア帝国内でユダヤ教徒が再び存在感を表したのはイェフダー・アルカライによるシオニズムショックである。エチオピア帝国内のユダヤ教徒はほぼ完全に同化していたが、最も大きな議論となったのは伝統と歴史あるイェルサレムを約束の地とするか、聖櫃の存在するダブラ・マケダを約束の地とするかである。この議論はエチオピア法院も巻き込んで結論が出るまでに3年以上かかったが、エチオピアの聖地はエチオピア正教の管理下にあるということが決定的となりイスラエルの民はイェルサレムへの巡行を行った。エチオピア帝国はイスラエルの民のイェルサレムへの帰還を容認し、これを支援した。シオニズム運動が巻き起こると、テオドロス2世はスルタンアブデュルハミト2世にイェルサレム王国建国を要求したが、これが100年内戦でのオスマン帝国との開戦の遠因となったと考えられている。イスラエルのシオニズム運動家の中ではユダヤ人国家建設をエチオピア帝国内で行う案も出されたが(エチオピア帝国は帝政国家であり、かつては複数の王国が国内に存在していた)、エチオピア正教との摩擦を恐れた最高法院の決定によって却下された。エチオピア帝国政府としても、内戦の最中に新たなる国家を国内で承認するようなまねはできなかったと考えられている。
 イスラエル連合王国当初からエチオピア帝国との友好関係は続いていた。しかし、長い内戦とイスラエル連合王国の周辺諸国との軋轢によりその関係性を明確に定義する条約はなかった。二千二十三年十二月にエチオピア帝国を訪れた国王ペトラグレト=ヨン=アレクサと外務長官エーリッツ・フォアデルファインによってエチオピア帝国首脳部と交渉が行われ、二千二十三年一月一日に正式に条約が結ばれた。

締締結国

・エチオピア帝国
・イスラエル連合王国

内容

 エチオピア帝国及びイスラエル連合王国は、
 その友好関係が一方ではソロモン王、一方ではシバの女王マケダの邂逅に端を発し、その三千年に及ぶ両国政府及び両国民の歴史的背景と善隣関係及び友好関係が国際協調上重要で、そして更なる発展の必要があることを確認し、
 主権の相互尊重と両国の民族自決の原則に従った民族統治に一定の正当性があると認め、両国の相互の福祉及び共通の利益の増進の為に、並びに国際の平和及び安全の維持の為に両国が国際連合憲章を真摯に遵守し緊密な連携を行っていくことが重要であることに合意し、
 平和友好条約を締結することに決定し、このため、次のとおりそれぞれ全権委員を任命した。

 エチオピア帝国   外務大臣 デメケ・メコネン
 イスラエル連合王国 外務長官 エーリッツ・フォアデルファイン

 これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。

第一条

1 両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
2 両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。


第二条

 両締約国は、そのいずれも、アフリカ・アラビア地域においても又は中東地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。

第三条

 両締約国は、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、相互に大使館を設置し、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。

第四条

 両締約国は、相互に港を開放し、公的貿易を開始する。

第五条

 この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない。

第六条

1 この条約は、批准されるものとし、アジス・アベバで行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、十年間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによつて終了するまで効力を存続する。
2 いずれの一方の締約国も、一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。


 以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署名調印した。

 二千二十三年一月一日にアジス・アベバで、ひとしく正文であるアムハラ語及びアラビア語及び現代ヘブライ語により本書三通を作成した。

 エチオピア帝国のために   デメケ・メコネン(署名)
 イスラエル連合王国のために エーリッツ・フォアデルファイン(署名)

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