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概要

バルベルデ連合共和国の歴史は古代諸王国、中世、植民地時代、大コロンビア連合共和国時代、南米連合共和国時代、バルベルデ連合共和国の歴史区分に分けられる。
この記事では現在は分離・独立したエクアドル、ボリビアの歴史は取り扱わない。


古代

諸王国

中世

14世紀頃、スペイン人の侵略を受けてこの地に栄えていたチムー帝国は滅亡した。
現在のバルベルデ地域及びエクアドル、ホンジュラスボリビアがスペインの植民地「スペイン王国領南米植民地」が設置された。
この頃、同じ南米の大帝国を滅ぼしたピサロと共に南米に植民したスペイン人、ポルトガル人、ラテン系有力貴族からなる13人の貴族がスペイン王国領南米植民地政府の基盤となった。
現在でもこの13家は続いており南米聖13家族?と呼ばれている。

近世

スペイン南米植民地時代

大コロンビア連合国


18世紀初頭、欧州の革命と動乱の余波がスペイン南米植民地に押し寄せた。
スペイン本国からの自立を目指したコロンビア総督府の軍人シモン・ボリバルの手によりスペイン南米植民地政府に宣戦を布告、革命戦争を起こし1819年に独立を果たした。ボリバルは建国の大英雄として南米北部諸国で崇拝される由来となった。
建国の国名は大コロンビア連合国である。
独立当時はコロンビア、ベネズエラ、ボリビア、エクアドルの4カ国で構成されていた。
シモン・ボリバルが1830年12月17日に薨去した。
ボリバルは後継者を定めておらず国内で後継者を巡り内乱が発生した。
1834年にボリバルの腹心で「南米聖13家族」次席でシモン・ボリバルの腹心として内相・軍務相・陸相を歴任し権勢を振るっていたアウグスティン・エウトラードが大統領に就任した。
エウトラードは内乱を終結させ西欧諸国との貿易による関係強化により大コロンビア国の近代化を推し進めた。技術者を西欧列強先進国から雇い進んだ技術を国内に推進した。効率化した大規模コーヒー農園・牧場の整備、国内に蒸気機関車と鉄道網の敷設、初等義務教育の実施、女性の地位向上、工場と労働者の近代化などの諸政策が成功し国力は発展した。
しかし、貧富の差が拡大しエウトラードとエウトラード派の南米聖13家族の地盤であるコロンビアとベネズエラに近代化の恩恵が集中しエウトラードの強権的な政治に反発する勢力が多いボリビア、エクアドルが1848年に連合共和国から脱退を宣言し2カ国は独立宣言をした。
エウトラードは1849年11月にボリビアとエクアドルに独立を阻止するため軍を派遣した。
コロンビア連合軍はボリビア戦役、エクアドル戦役で大敗を喫した。エウトラードは軍の近代化改革の必要を余儀なくされた。
戦争の敗北によりエウトラードの支持は急速に下がり1850年1月、首都カラカスで演説中のエウトラードはボリビア出身の反政府思想の青年将校によって暗殺された。
エウトラードの暗殺と同時に労働者層と労働者層と市民を支持する軍部改革派と青年将校団によるクーデターが発生した。
エウトラードの死とクーデターにより大コロンビア連合共和国体制は完全に崩壊し1850年2月14日、暫定大統領マルディスの大コロンビア連合国解散宣言により完全に解体された。
コロンビア共和国とベネズエラ共和国の2カ国の合意の上で連合共和国体制を維持し1850年3月3日に南米連合共和国を建国した。

南米連合共和国時代。

パクスアメリカーナ

南米連合共和国初代大統領に就任したのは大コロンビア暫定政府内相で南米聖13家族3席 ガスパール・セルバンティスであった。
旧大コロンビア連合共和国暫定政府大統領マルディスは支持を得られず政治不正によって失脚していたため、南米連合共和国初代大統領に指名されなかった。マルディス以外の閣僚の指名と市民の署名によりセルバンティスは南米連合共和国初代大統領の地位を得た。
末期の大コロンビア連合共和国はエウトラード体制を踏襲し西欧的近代化政策を進めていた。
セルバンティスはエウトラード体制の反省を踏まえて個人崇拝を禁止し大統領に強い権限が与えられない体制にするため大コロンビア連合共和国憲法の内容を大幅に変更した南米連合共和国憲法が採択された。
南米連合共和国憲法草案も国民投票によって決められた。
更にセルバンティスは大統領国民投票制の実施と議院内閣制の増強を図り政府と国家の体制を刷新した。
更に大統領の任期を大コロンビア時代の無制限から4年3期続投の禁止を憲法に明記しその憲法も充足させ初期の南米連合共和国は政治的・文化的に充足感が図られた。
1870年代にはベネズエラで油田が発見され採掘技術の発展向上を図るため西欧列強諸国に技術者、学者などの専門家を派遣して石油採掘技術を学ばせた。石油利権を西欧諸国に取られる前に南米連合共和国のものにするセルバンティスの思惑によるものだった。
石油以外にも石炭、鉱石などの天然資源の国内供給と海外の輸出によって大コロンビア連合共和国時代に借り受けた西欧諸国からの負債を返済したため南米連合共和国経済は安定し広がった。
国民の貧富の差は縮まり政治的にも経済的にもセルバンティスはボリバルの轍を踏まないために後継者の教育に務めた。そのおかげにより1900年代初頭までは安定した平和の時代が続いた。
バルベルデ文部省国家歴史教育局はこの時代を「パクス・サウスアメリカーナ」と呼ぶ。

1920年代

1920年に入ると南米連合共和国の成長は鈍化し議会と政府は腐敗し縮まった貧富の差はまた広がり地方のインフラ整備も中々行われずにいた。
1910年代後半に社会主義、共産主義思想が南米連合共和国に入ると財閥などの富裕層、在地の白人貴族などの白人有力勢力から抑圧されてきた労働者、農民、先住民は社会主義と共産主義を支持するようになり1917年には南米連合社会党、南米連合共産党、南米人民党赤色南米同盟などの左派政党が誕生した。
これら左派政党は政府による弾圧によって議会活動を停止されるなどしたが市民の支持が厚く左派政党に)るが扇動した労働者によるストライキ・デモ・焼き討ち、学生団体による抗議活動、社会主義派の青年将校による騒乱が1920年から1924年の4年間に150回も発生し1926年4月には首都カラカスの大統領宮殿が共産主義者勢力によって爆破され当時の大統領だったラモンが負傷し副大統領アリエルが臨時大統領に就任し1925年6月の大統領選挙で正式に大統領に就任した。
アリエルは国内の不安を解決しようとしたが軍部、財閥、左派勢力、白人貴族勢力との折り合いが付かず1926年12月に議会の解散、大統領辞任を発表した。

南米連合共和国〜チャモス時代

チャモス政権の誕生

1927年2月2日の大統領選挙でベネズエラ出身の陸軍中将で南米連合国家社会主義労働者党(Partido Nacional Socialista de los Trabajadores de Sudamérica 通称:PNSTS)総統ウボ・チャモスが大統領に就任した。
チャモスは世界不況の余波による国家経済が疲弊からの回復、国民と財閥の関係改善、国民所得の向上、軍人の待遇改善、農民・労働者・先住民の保護を唱えて選挙に勝利した。
大統領に就任したチャモスは大統領とは別に新たな国家元首号に総統を導入、「国家の混乱を防ぐため」として大統領選挙の無期限停止、憲法の停止とチャモス憲法の発動、議会の解散と新議会の開設を行った。
新議会はチャモスが相当を務めるPartido Nacional Socialista de los Trabajadores de Sudamérica(PNSTS)とその友好政党及び衛星政党が国会を構成し労働党、社会党、共産党などの左派政党は活動を禁止された。保守党、国民党、自由共和党といった保守系右派政党は徹底的に弾圧され国民党幹部、自由共和党幹部は残らず粛清された。

チャモス政権の軍拡

南米連合共和国立て直しのため、チャモスはナショナリズムを高め国威掲揚を図り国民を扇動しファシスト体制を勧めた。
更にチャモスは南米連合軍強化を図るため大規模徴兵、兵器の国産量産化、軍の練度強化、統制力強化、綱紀粛正、海外兵器のライセンス生産を充実させて南米連合共和国軍全体の強化に成功した。
陸軍では無線機の導入、戦車・装甲車からなる機甲部隊の整備、軍用トラック、兵員輸送車部隊の整備、旧式小銃の全部隊新式小銃への転換を行った。
航空機部隊の充足として空軍の発足を実施した。
陸軍航空隊、海軍航空隊陸上基地航空隊を統合し空軍とした。輸送機の生産により空挺部隊を組織して海外での研鑽を行い最精鋭部隊となった。
チャモスは政党の武装化を認める憲法改正を行いPNSTSに限り武装化を許可する法律が施行された。
PNSTSの武装組織として悪名を馳せたのがComando Pro-Guardia Armado por el Estado(国家武装親衛隊:通称 CPGAE)である。彼らは穏健派の筆頭であり対話による国内問題解決を模索していたアリエル前大統領の暗殺を実行し共産主義者・社会主義者狩り(赤狩り)、先住民狩りと虐殺を行った。
チャモスの手腕は評価が別れるが1930年に入ると国内の敵対外国人の排除と財産没収、財閥の国有化によって南米連合共和国経済は回復した。
農政改革、労働条件改善によって貧困層の指示を取り付けた。

大コロンビア戦争

1934年、9月1日、チャモス率いる南米連合軍は「大コロンビア連合時代を取り戻す解放戦争」と称して隣国ボリビア・エクアドルに侵攻した。
この戦争を大コロンビア戦争と呼称する。
陸軍空挺部隊・機甲部隊、海兵隊、空軍による電撃的侵攻作戦と新兵器の投入によって2カ国軍は大打撃を受けた。10月初旬にはボリビア首都が陥落し大統領ら主要閣僚を捕らえて処刑し傀儡政権を誕生させた。(ボリビア国家社会主義共和国)、10月17日にはエクアドルの領土7割強を占領した。
チャモスはエクアドル占領地域を赤道国家社会主義共和国とした。チャモスは次なる戦争遂行のための準備を着々と実行した。

チャモス政権の暴走

ブロック経済圏を拡大したため反ファシズムの姿勢をとる西欧諸国との関係悪化に伴い貿易需要が消失した。
コロンビア選出議員の発言権を奪うため国会でのコロンビア出身議員定数の大幅削減、財閥国有化の影響、財産没収をした結果、ハイパーインフレーション発生した。このハイパーインフレによりデフォルトが発生し物価は急上昇した。その影響で失業者が大量に生まれ輸出入低下により食料供給率が下がり配給制となっ。
チャモス政権は失業者対策として失業手当の拡充、全企業の国営化として国家が運営する企業、工場、農園、牧場、公共事業に従事させた。
しかし、これらの企業はノルマ達成を重視する傾向のせいで労働条件は悪化し労働者の待遇が大幅に悪化した。さらに実施された配給制もチャモス一族、チャモス派の軍部と富裕層、チャモス支持の南米聖13家族に配給を優先したせいで貧富の差は拡大し大量の餓死者が発生した。
チャモスは先住民の「奴隷化」を1932年に宣言した後、彼らが住む地域ごと強制収容施設に変えて過酷な弾圧と虐殺が行われ1927年から1945年までの間に約150万人の先住民が虐殺された。チャモスの先住民虐殺政策により貴重な先住民の文化、遺跡、言語が失われた。
このようなチャモスの独裁は国民の反感を大いに買い国民の支持が強かった反チャモス勢力「自由ボリバル国民革命戦線 Frente Nacional Revolucionario Bolivariano Libre 通称:FNRBL」が結成された。
FNRBLは反チャモス派南米聖13家族、軍部穏健派、反チャモス派青年将校団、反ファシズム地下組織、レジスタンス、学生、労働者組織によって構成された。
1937年6月17日、エクアドル・ボリビアの傀儡国化の成功に気を良くしたチャモスはホンジュラスに攻め込んだ。連合軍主力と国家武装親衛隊の留守により南米連合共和国主要都市の警備は手薄となり傀儡政権があるエクアドル・ボリビアの反体制勢力と結びつきに成功したFNRBLはベネズエラ出身のシモン・ボリバルの玄孫 バリエル・ボリバルをFNRBLの軍事部門「Protectorado del Grifo Rojo 通称PGR」最高司令官元帥となり1937年10月に蜂起し8年間に及ぶチャモス内戦が発生した。

チャモス内戦

  • チャモス内戦?を参照。
1937年6月17日、ホンジュラスに宣戦布告した南米連合共和国総統ウベ・チャモスは自ら軍最高幹部、親衛隊首脳部、PNSTS幹部を率いてホンジュラスで自ら作戦指揮を取っていた。その影響により南米連合共和国本土(コロンビア、ベネズエラ地域)は南米連合軍国土防衛軍、国家武装親衛隊指揮下の12歳から17歳までの少年少女、徴兵免除対象の専門学生・大学生からなる鉄血国民突撃義勇軍、老人、退役軍人、予備役軍人からなる国民突撃隊と陸軍5個師団、空軍4個師団、海軍予備艦隊、陸戦隊3個連隊、海兵隊2個大隊しか正規軍はのこっていなかった。
PGRは正規軍出身者が多く軍事訓練も先進国家の訓練法を取り入れて戦術・戦略思想も南米諸国に適応したものを取り入れゲリラ戦術、電撃作戦、散開戦術、浸透作戦、兵站破壊、破壊工作を重視した。
FNRBLの戦略
FNRBLは反チャモス及び反PNSTS思想の政治家、穏健派の右派・左派勢力を取り込み旧財閥、チャモス政権によって財産没収された名士層の取り込みに成功した。
その中でも内戦時代、建国初期のバリエルの同志として活躍したディアゴ・ホセ・ラブレス卿は自らの私財を投入し弁護士、技術者、国内外メディア、各国政府を動かし南米連合共和国の現在の状態とその状況に追いやったチャモスの罪を世界中に晒しあげた。
ラブレス卿の活躍で周辺諸国のみならず世界各国がFNRBLを全面的に支援しファシ化した南米連合共和国を正式な政府として認めない宣言を出した国が現れた。

元々28歳の若さで南米連合共和国国防軍陸軍中将の階級を得たバリエル・ボリバルは青年将校の支持を取り付け「シモン・ボリバルの子孫」というネームバリューを活かして軍上層部長老、反チャモス派の軍上層部の支持を取り付けた。バリエルは6月17日、ホンジュラス侵攻時に国内残留をしていた南米連合共和国国防軍部隊の3分の1の取り込みに成功した。

嵐作戦

1936年6月21日、FNRBL最高指導部はPGP、FNRBLに下った南米連合国国防軍と共に首都カラカス及び主要都市への浸透作戦を開始、徐々に都市を包囲した。
レジスタンスとスパイを使いFNRBL派の市民を郊外2移動させたが市民に偽装した政府秘密警察に逃亡作戦が発覚し共和国首都防衛隊と首都方面を担当していたRGP第1軍第1歩兵師団との間に戦闘が発生した。
RGP総司令部は首都防衛隊総戦力が2個旅団程度で、RGPの兵力を倒せないと判断した。RGP最高司令官バリエル・ボリバルは首都近くに展開していた残りのRGP軍団を首都カラカスに急速展開し首都カラカスを包囲、突入した。
首都防衛隊司令部及び国家武装親衛突撃隊は予想外のRGPによる首都襲撃によって狼狽せざるを得ず首都に残留していたPNSTS最高指導部はコロンビア地域への亡命を宣言、第2首都からボゴタへ亡命した。
首都攻撃からわずか6時間でPNSTSからFNBLSの手に戻った。FNBLSは今回の作戦を「Operación Tormenta(嵐作戦)」と呼んだ。
嵐作戦終了後、FNBLS最高指導部はRGPとFNBLS支持派南米連合国防軍を統合し名称を「自由革命軍(Ejército Revolucionario Libre 通称:ERL)」に組織変更した。
FNRBS総裁とERL最高司令官をバリエル・ボリバルが兼任することに決定。双方の役職名を統合して総帥(líder)と呼んだ。

バルベルデ時代

バルベルデ建国

1945年1月、チャモスの自決によりチャモス政権のNO.2 ニコラエ・マドゥライが政権を引き継ぎFNRBLに全面降伏を申し込んだ。
バリエル・ボリバルはこれを受託し6年に及んだ内戦は終結した。バリエルは内戦期にERLを纏めあげた政治思想を「バルベルデ思想」を体系化した国家、バルベルデ連合共和国を建国した。
バルベルデはコロンビア国内に影響力を持ち大航海時代にコロンビアに上陸した南ヨーロッパ系白人貴族の末裔「南米聖13家族」と結束してコロンビア=ベネズエラの統一意識を芽生えさせ国民にバルベルデ人としての自覚を持たせた。

1920年代から続けられた石油採掘は1947年のベネズエラ南部での油田発見と石油精製施設の完成により急速な経済発展をもたらしバルベルデの急成長を遂げる促進剤になった。

第1共和制

独立直後のバルベルデは連合政府、独立派地方政府、反政府左翼ゲリラ、極右民兵組織、麻薬カルテル、武装マフィア、旧チャモス勢力、外国人犯罪勢力の7つ巴の抗争が尾を引いていた。
バリエル・ボリバル、南米聖13家族末席でありバリエルの支援者で「バルベルデの第2の父」と称されたディアゴ・ホセ・ラブレス卿をはじめとする建国12賢人と呼ばれる元勲たちの活躍により各勢力の抗争を武力ではなく対話によって鎮め連合政府をまとめた。
だが、反チャモス派と外国人犯罪勢力は武力での鎮圧を余儀なくされたが建国12賢人の1人、ヴォルフガング・オスカー・ミッターマイアー元帥とオスカー・フォン・ロイエンブルク元帥の双璧の活躍で大規模な内乱には至らなかった。
工業化の発展、石油採掘及び精製技術の拡大、石油貿易による外貨の獲得によりバルベルデは不安定ながらも急成長を遂げた。国民の所得はチャモス時代の2倍になり鉄道路線の拡大、インフラ整備の充実、自動車専用道路・高速道路の整備、電気・ガス・上下水道の全地域整備、水力・火力・発電の充足化を完了した。
1945年から1980年までの時期を第1共和制としている。
第1共和制はバルベルデ連合共和国の地盤を確固とした時期であり高度経済成長によってバルベルデが安定化した時期でもあった。
国防組織であるバルベルデ連邦軍と警察組織である国家警察ー地方警察、 バルベルデ連邦警察(FVI)が暴力組織ではなく国民保護組織にしたのも評価に値するとの評価も高い。
チャモス政権時代の反省として先住民保護製作、労働者・農民、障害者、高齢者などのを保護する社会福祉政策の充実、徴兵制の禁止と憲法改正の国民投票、大統領の任期を無視した再選の禁止などを採り入れた。
1981年9月に民主党出身のベラスケス大統領が連邦軍コマンドー部隊元隊員に暗殺された。ベラスケス大統領以外の閣僚も同時に暗殺されたため議会はベラスケス大統領の前任で独裁者と呼ばれ大統領の座を終われたヴァスケス大統領時代の首相 アリアスを大統領に指名した。
1981年10月4日に

第2共和制

1981年10月4日に連合共和国大統領に就任した軍部出身のアリアスは大統領就任演説の中で「バル・ベルデには厳正な規律で国民を導く大統領が必要だ (Val Verde necesita un presidente que dirija la nación con estricta disciplina)」と発言し支持層であった軍部、右派政党、右派財界人、右派名士層から圧倒的な指示を取りけた。ベラスケス大統領を暗殺した元コマンドー部隊出身者・元連邦軍陸軍特殊部隊出身者、アリアス配下の軍人達から構成される特務機関「predator(プレデター)」を組織した。プレデターの力を使いアリアスに恭順を誓った武装マフィア、麻薬カルテル、極右組織を取り込み強力な組織に育て上げた。
プレデターは左翼ゲリラ、左派組織、第1共和制支持組織、社会主義・共産主義勢力の弾圧に成功した。
だが一方でプレデターを中心としたマフィア、麻薬カルテル、極右組織の利権拡大に伴い格差が広がり次第に政敵の排除と粛清が蔓延った。
アリアスは個人崇拝を推し進めプレデターの武力を背景に大統領権限によって憲法の無期限停止、野党の解散、議会の解散、選挙の禁止、徹底的な言論統制、国民の虐殺などの独裁行為により国民は酷く苦しんだ。
アリアスは「資本主義の精神は国を腐らせる。これからは社会主義・共産主義を体系化したアリアス・バルベルデ社会主義がこの国を支配する」と宣言した。
アリアスは大企業を国営化して財産没収をして国庫に返納させアリアス非支持の富裕層にも同様に財産没収した挙句に処刑した。
この行為は40年前のチャモス政権の再来として国民は恐怖した。反民主主義路線を貫くアリアス独裁体制による支配はバルベルデ国民は新政権の誕生を願うのに充分だった。
アリアスの時代を第2共和制と呼ぶ。

第3共和政

1985年、このようなバルベルデの状況を嘆いた連邦軍大将フランクリン・カービー将軍と建国の元勲 「ディアゴ・ホセ・ラブレス」の息子ディアゴ・ミゲル・ラブレス卿が主導した政変(1985バルベルデ革命?)によってアリアス政権が倒された。
1985革命に活躍した連邦軍コマンドー部隊司令官 ジョン・メイトリクス大佐は自らの手でアリアス、ベラスケス大統領を暗殺したかつてメイトリクスの部下 ベネット国防相を倒した。この活躍によりメイトリクスは「バルベルデ救国英雄」として今も国民の高い人気を誇る。
1985革命により新政権 バルベルデ第3共和制 が発足した。
新政権誕生の1985年10月4日から2005年7月1日までの期間を第3共和政と呼ぶ。

第4共和国

第4共和国の胎動
2005年7月1日、当時のバルベルデ大統領アウグスト・ペロンは85革命に参加し89年~92年と2001年~2005年まで大統領務めた。2005年1月21日に経済政策の失敗と財界、企業の賄賂が発覚して支持を失いペロン内閣国防相のヨゼフ・トリューニヒトは元空中機動軍中佐ソフィヤ・パヴロブナ(通称:バラライカ)が大頭目を務めるマフィア「ホテル・ルーシー」と同盟関係にあるマフィア組織、麻薬カルテル、犯罪組織を使ってペロン政権を打倒した。
トリューニヒトが大統領になる条件としてホテル・ルーシーを始めとするマフィア、麻薬カルテル、犯罪組織を保護し合法化させ政府に仕えさせることをパヴロブナは条件として提示しトリューニヒトが受け入れたためマフィア勢力の影響力が政府に浸透した。
だが、トリューニヒトは第1共和制のヴァスケス、ベラスケス、第2共和制、第三共和政の大統領に恭順を誓い今日まで生きながらえたことを疑問に思ったバラライカは自らが指揮した空挺部隊出身者からなる私設軍隊「ヴィソトニキ」を使ってトリューニヒトを拷問させたところ彼らはボリバル教と呼ばれる宗教団体を使って生き延びたことを告白した。
マフィア政治の確立
バラライカはヴィソトニキ、三合会の戦力を使ってボリバル教を滅ぼした挙句に1部の宗教を禁止して他の宗教組織の活動を禁止した。
バラライカは2010年頃までトリューニヒトを使ってホテル・ルーシーの勢力をバルベルデ国内のみならず、南米大陸、世界規模にまで巨大化した。
第4共和国を語る上で特筆すべきなのはバラライカをはじめとするマフィアは表舞台に現れなく国を支配したことだ。
それまで連合政府の意思決定機関に過ぎなかった最高閣僚評議会を最高幹部評議会に改められた上で最高幹部評議会議長に大統領を超える巨大な権限を与えた上で2005年からバラライカがクーデター倒された2023年までの18年間バラライカは最高幹部評議会議長としてバルベルデ大統領と政府閣僚の生殺与奪権を握っていき大統領府を凌駕する集団になった。
キクリ・ヒロイ大統領時代
2023年8月より大統領に就任したキクリ・ヒロイは国内最大手の酒造・製薬企業「ヒロイ財団」の令嬢で国民的ロックバンド「SICK HACK」のリーダー兼ベーシストだった。彼女は極度のアルコール依存症だったが駒になりそうだと判断したバラライカはヒロイに面談を申し入れた。その結果、バラライカはヒロイを気に入り大統領に指名した晴れて正式にバルベルデ大統領に就任した。彼女は大統領時代、暴れまくっていたこともあり1時は退任に追い込まれたが復帰、しかしまた暴れたため2023年9月にはついにヴィソトニキによって幽閉された挙句、台湾国へ送致されたが台湾国国家元首になりこの世界線でも恐らく珍しい2カ国の国家元首を務めた人物になった。
第4共和国の期間
2005年から2023年までを第4共和国としている。
2005年7月から2023年9月までに大統領が何人も交代し最高幹部評議会が実質上の連合政府として機能していた。

第5共和国

第4共和国の終焉
2023年10月18日、バルベルデ連邦政府、連邦軍及び警察内部にいる反マフィア政治勢力はバルベルデ民主化の父 ディエゴ・ラブレス卿の息子 ガルシア・ラブレス国務大臣と連合共和国政府首相アナスタシア・ロマノヴァを首班とした「Frente de Liberación Nacional Salvación Libre de Valverde(バルベルデ自由救国国民解放戦線 通称:FRNVLS)がバルベルデ最大のマフィア「ホテル・ルーシー」の大頭目兼バルベルデ大統領兼バルベルデ最高幹部評議会議長 ソフィヤ・パブロヴナ打倒のクーデターを敢行した。
FRNVLS軍とパヴロブナ大統領派軍の戦闘は12時間にも渡ったがパヴロブナ及び副大統領のボリス・トゥハチェフの逮捕によりクーデターは終了した。
FRNVLSはディエゴ・ラブレス国務大臣を大統領、アナスタシア連邦政府首相を留任したまでマフィア出身の閣僚を除いた新内閣を組閣して新政権が誕生した。

ラブレス大統領は2023年10月20日から政治体制を「第5共和制」と呼称すると宣言した。

関連項目

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