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kingzeputozeta 2023年11月07日(火) 12:09:00履歴
国家親衛隊(Национальная Гвардия Руси)、通称「ルスグヴァルディヤ」(Русгвардия)は、大ルーシ国の軍事組織。同国の四大省庁の一つである愛情省に属し、ルーシ国民の生命と財産の保護、治安の維持、対テロ作戦、重要施設防護等を主な任務としている。その兵力や装備の詳細は公表されていないが、国外のシンクタンクの調査によれば、45個の大隊が各地で活動中で、兵員の定数は40000~50000名程度と推測されている。
国家親衛隊の前身とされる組織は2つ存在する。1つは1991年にソ連国内軍のウクライナ地域駐屯部隊を元に設立されたウクライナ国内軍、もう1つは1994年に大ルーシ民族社会主義労働者党の街頭闘争組織として設立された愛国戦闘団である。ウクライナ国内軍からは、対テロ作戦や重要施設防護を主な任務とする重武装の警察部隊としての性格を、愛国戦闘団からは、大ルーシ民族社会主義労働者党のイデオロギー的に信頼できる戦闘組織としての性格をそれぞれ受け継いでいる。
ウクライナ国内軍は、1991年、ソ連国内軍のウクライナ地域駐屯部隊を元に設立された。設立当初のウクライナ国内軍は、司令部の直轄で機動的に対テロ作戦に投入される6個の特殊任務連隊と、各地の重要施設防護(原子力発電所やダムや政府関連施設など)に従事する18個の独立警備大隊から構成され、総人員はおよそ35000人だった。
90年代前半、ウクライナでは急速な資本主義の導入の反動で物価が異常な高騰を示し経済が事実上瓦解、これにより国内の治安は破滅的なほどに悪化しつつあった。各地で暴動と略奪が発生する中、軍は給料の不払いを理由にしばしば出動を拒否したため、政府は国内軍を治安維持の最後の砦として次々各地に投入した。これによりウクライナ社会の治安の崩壊は避けられた一方、自国民に対し銃を向け、しばしば発砲するように強制された国内軍の兵士たちの間には、政府の経済政策に対する不信や不満が蓄積していった。
これに目を付けたのが、ウクライナ経済の混乱を背景に支持率を伸ばしつつあった大ルーシ民族社会主義労働者党であった。同党の設立者であるイーゴリ・ウリヤーノフは、特殊部隊の指揮官たちと個人的な友人関係を育み、自身の掲げるネオ・ボリシェヴィズムに転向させた。さらにウリヤーノフは、特殊部隊の指揮官たちとの友人関係を、頻繁に政治的に利用した。例えば、ウリヤーノフはしばしば若い党員(多くは後述する「愛国戦闘団」の隊員)を引き連れて特殊部隊出身のインストラクターの訓練に参加、その様子を国民向けに発信することで「強い指導者」としてのイメージを流布していた。
90年代前半、ウクライナでは急速な資本主義の導入の反動で物価が異常な高騰を示し経済が事実上瓦解、これにより国内の治安は破滅的なほどに悪化しつつあった。各地で暴動と略奪が発生する中、軍は給料の不払いを理由にしばしば出動を拒否したため、政府は国内軍を治安維持の最後の砦として次々各地に投入した。これによりウクライナ社会の治安の崩壊は避けられた一方、自国民に対し銃を向け、しばしば発砲するように強制された国内軍の兵士たちの間には、政府の経済政策に対する不信や不満が蓄積していった。
これに目を付けたのが、ウクライナ経済の混乱を背景に支持率を伸ばしつつあった大ルーシ民族社会主義労働者党であった。同党の設立者であるイーゴリ・ウリヤーノフは、特殊部隊の指揮官たちと個人的な友人関係を育み、自身の掲げるネオ・ボリシェヴィズムに転向させた。さらにウリヤーノフは、特殊部隊の指揮官たちとの友人関係を、頻繁に政治的に利用した。例えば、ウリヤーノフはしばしば若い党員(多くは後述する「愛国戦闘団」の隊員)を引き連れて特殊部隊出身のインストラクターの訓練に参加、その様子を国民向けに発信することで「強い指導者」としてのイメージを流布していた。
愛国戦闘団は、1994年、大ルーシ民族社会主義労働者党の街頭闘争組織として設立された。当時のウクライナでは、右翼から左翼に至るまで、あらゆるイデオロギーの政党が街頭闘争のための武装組織を保有していた。当初の愛国戦闘団は、数ある街頭闘争組織の一つに過ぎなかったが、1995年頃より党首のイーゴリ・ウリヤーノフがウクライナ国内軍の特殊部隊指揮官らと個人的な友人関係を育み、彼らをインストラクターとして迎えて軍事教練を施すようになると、他党の街頭闘争組織とは一線を画した規律ある戦闘組織へと生まれ変わっていった。
1994年当初約200人の隊員から構成されるに過ぎなかった戦闘団は、大ルーシ民族社会主義労働者党の支持の拡大およびウクライナ経済の悪化による失業者の増大と共に急速に巨大化していき、1996年の最高議会選挙時点で当局の調べによれば2万5000人以上が戦闘団に加入していた。州ごとに約1000人から構成される「行動隊」が組織され、最高議会選挙の選挙期間中、党の集会会場の護衛、対立候補の集会への襲撃などを担った。さらに、党員の妻子を中心に「婦人隊」も組織され、シュプレヒコールを担当した。各州の選挙結果において、行動隊や婦人隊が果たした役割は無視できないほど大きかった。
選挙結果に大きな影響を与えた戦闘団の活動としては、投票日の前日のキエフにおける大規模デモ行進が挙げられる。労農共産党と国営企業の間で行われていた大規模な汚職と選挙工作が報じられた直後、キエフ市の行動隊と婦人隊合わせて約1500人がキエフ市で抗議デモを開始、多くの市民(労農共産党の支持者だった人々すらも)がこれに同調して政府機関や労農共産党本部を包囲した。この様子は全国的に報道され、翌日の選挙における労農共産党の大敗北につながった。
1999年の大統領選挙においても戦闘団は同様の重要な役割を果たした。しかしウリヤーノフは、戦闘団の暴力的な活動が原因で大ルーシ民族社会主義労働者党の支持が低下する可能性があると判断、選挙終了後は活動を縮小させた。2000年、戦闘団は解体され、その人員は設立されたばかりのウクライナ国家親衛隊に吸収された。
1994年当初約200人の隊員から構成されるに過ぎなかった戦闘団は、大ルーシ民族社会主義労働者党の支持の拡大およびウクライナ経済の悪化による失業者の増大と共に急速に巨大化していき、1996年の最高議会選挙時点で当局の調べによれば2万5000人以上が戦闘団に加入していた。州ごとに約1000人から構成される「行動隊」が組織され、最高議会選挙の選挙期間中、党の集会会場の護衛、対立候補の集会への襲撃などを担った。さらに、党員の妻子を中心に「婦人隊」も組織され、シュプレヒコールを担当した。各州の選挙結果において、行動隊や婦人隊が果たした役割は無視できないほど大きかった。
選挙結果に大きな影響を与えた戦闘団の活動としては、投票日の前日のキエフにおける大規模デモ行進が挙げられる。労農共産党と国営企業の間で行われていた大規模な汚職と選挙工作が報じられた直後、キエフ市の行動隊と婦人隊合わせて約1500人がキエフ市で抗議デモを開始、多くの市民(労農共産党の支持者だった人々すらも)がこれに同調して政府機関や労農共産党本部を包囲した。この様子は全国的に報道され、翌日の選挙における労農共産党の大敗北につながった。
1999年の大統領選挙においても戦闘団は同様の重要な役割を果たした。しかしウリヤーノフは、戦闘団の暴力的な活動が原因で大ルーシ民族社会主義労働者党の支持が低下する可能性があると判断、選挙終了後は活動を縮小させた。2000年、戦闘団は解体され、その人員は設立されたばかりのウクライナ国家親衛隊に吸収された。
1999年の大統領選挙でイーゴリ・ウリヤーノフが当選してウクライナ大統領となった。ウリヤーノフは軍が中央政府に従順でないことを脅威とみなし、自身の政権基盤を盤石なものとするため、軍におけるネオ・ボリシェヴィズムの浸透と共に、思想的に信用できる人員で構成された重武装の戦闘組織によってクーデターを抑止することが必要と考えた。ウリヤーノフは政権掌握後、内務省の管轄であった国内軍を大統領直属の軍事組織とする改革を実施、これに伴い、ウクライナ国内軍の名称はウクライナ国家親衛隊に変更された。
ウクライナ国家親衛隊が大統領直属の部隊となったことを受け、ウリヤーノフは国家親衛隊の編成などに深く介入するようになった。国家親衛隊内でもネオ・ボリシェヴィズムの浸透が改めて推進され、これに反発した民族主義系、あるいは自由主義系の隊員は危険分子と見做されて退役を余儀なくされた。この人員を補うため、党の武装組織であった愛国戦闘団の人員があてがわれた。ウリヤーノフ政権下の最初の2年間で、国家親衛隊は単なる軍事組織から、ネオ・ボリシェヴィズムの思想とそれに基づくウリヤーノフ政権を防衛するための極めて強いイデオロギー性を帯びた軍事組織へと変貌を遂げた。そして彼らは、大ルーシ民族社会主義労働者党に忠実な暴力装置として、同党の一党独裁体制確立に極めて大きな役割を果たしていくこととなる。
ウクライナ国家親衛隊が大統領直属の部隊となったことを受け、ウリヤーノフは国家親衛隊の編成などに深く介入するようになった。国家親衛隊内でもネオ・ボリシェヴィズムの浸透が改めて推進され、これに反発した民族主義系、あるいは自由主義系の隊員は危険分子と見做されて退役を余儀なくされた。この人員を補うため、党の武装組織であった愛国戦闘団の人員があてがわれた。ウリヤーノフ政権下の最初の2年間で、国家親衛隊は単なる軍事組織から、ネオ・ボリシェヴィズムの思想とそれに基づくウリヤーノフ政権を防衛するための極めて強いイデオロギー性を帯びた軍事組織へと変貌を遂げた。そして彼らは、大ルーシ民族社会主義労働者党に忠実な暴力装置として、同党の一党独裁体制確立に極めて大きな役割を果たしていくこととなる。

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