| 枠 | 架空 |
|---|---|
| 種類 | カービン(次世代小銃) |
| 価格 | 1500ドル |
![]() | |
| 基本情報 | |
| 種類 | 小銃(カービン) |
| 運用者 | 環インド洋海洋帝国連邦 |
| 製造 | 2000年 |
| 製造元 | ピレネウス社 |
| 全長 | 862mm |
| 重量 | システム全体:10.62t アクセサリーなし:2.38kg |
| 作動機構 | ストーナー式 |
| 閉鎖機構 | ロータリーボルト式 |
| 使用弾薬 | 5.56x45mm NATO弾 |
| 発射速度 | 約800発/分 |
| 銃口初速 | 920m/s |
| 有効射程 | 500m |
M21アサルトカービンは、環インド洋海洋帝国連邦軍が正式採用するカービン銃である。M7アサルトライフルを採用する陸軍と空軍に対し、このM21アサルトカービンはM7よりも銃身が短く、さらにストックの折畳機構を持つために、主に閉所での戦闘を中心に遂行する任務が多い、もしくは携帯性が求められる海軍や海兵隊、各軍特殊部隊で採用される小銃である。
この短銃身のカービン銃はM7アサルトライフルのシリーズ商品の派生型であり、およそ70%の共通部品が使用されているが、共通でない部分は主に軽量化などが行われた部品である。
この短銃身のカービン銃はM7アサルトライフルのシリーズ商品の派生型であり、およそ70%の共通部品が使用されているが、共通でない部分は主に軽量化などが行われた部品である。
元来、火砲の歴史は火薬を開発した中国から始まる古いものであり、特に火薬を使い投射物を投射するというアイデアは、もっとも初期から考えられてきた発想である。吹き矢であれば人の肺から排出される呼気を利用し、筒に収納された矢を飛翔させることで敵への命中を図るものである。銃砲はこの呼気を火薬に置き換えたものであり、現代に至るまで広く利用されてきたものである。さらに、火薬は砲だけでなく、マスドライバーや爆砕ボルトなど、殺傷性投射物の投射手段として利用されてきただけではなく、物品の運搬にも利用されてきた。実験レベルの衛星打ち上げ装置で言えば、ジェラルド・ヴィンセント・ブル(Gerald Vincent Bull、1928年3月9日 - 1990年3月22日)というカナダ人研究者が開発に携わっていた、カナダ兵器研究開発所(CARDE後のDRDC)が参画したアメリカ国防総省とカナダ国防省が共同で計画した衛星発射システムであるHigh Altitude Research Project(HARP)である。これはアイオワ級戦艦用の16インチ砲のライフリングを削り42.4cm滑腔砲としたものを2門結合させた、衛星発射用の砲が3門製造されたとされる。これは重量82kgの砲弾を高度180kmの高さ、すなわち宇宙空間にまで打ち上げることに成功している。しかし、衛星打ち上げ用ビークルは既に月へ飛び立てるほどの強力なロケットであるサターンV型ロケットも実用段階に達しており、この計画はアポロ11号が月に降り立つ1年前である1968年に中止されている。
話を戻し、現在の環インド洋海洋帝国連邦領へ火砲が渡ってきたのは、欧州への伝来よりも早い12世紀ごろだと思われる。現在のメリナ人の遺伝グループを形成するアジア系民族の伝来が10世紀ごろには始まっており、この2世紀後には当時マダガスカルに建設されていた王朝との交易もあったことがわずかながら確認されている。この火砲の中でも、特に火槍と呼ばれるものが当時のマダガスカル人の注目を集めることになった。この火砲は当時マダガスカルに生息する野鳥の撃墜に効果的と判断されており、北部でとれる鉄資源も合わさって、弓矢なども含めて狩猟の道具として利用されてきたことが遺跡調査によって確認されている。この火砲の利用の歴史の中で、特に研究者の注目を集めているのは、マルガパパウラと呼ばれる短銃身の火砲であった。これは火槍の短縮バージョンであり、狩猟の際にかさばってしまう武器の携帯性を高めるために利用されたと考えられる。マダガスカルに複数存在していた王朝では戦争の道具としても利用されており、その痕跡も島のジャングルや高地に点々と見つけることができる。とはいえ、この火砲は西洋文化の流入により、最新のフリントロック式火縄銃に置き換えられることとなり、次第にマダガスカルの歴史から姿を消すこととなったのである。
西洋から西洋式の銃器が伝来したことでマダガスカルの火砲の歴史が大きく前進したことは言うまでもないが、ここで重要になるのは第一次世界大戦である。第一次世界大戦ではアフリカの国家ということもあり戦火を免れてきたメリナ王国ではあるが、決して安心していたわけではない。アフリカには欧州各国の列強による植民地支配が横行しており、過去のセーシェル、モーリシャスなども植民地支配の影響を受けていた。マダガスカルはメリナ帝国がとっていた富国強兵政策と攘夷運動が功を奏したことで植民地支配を回避してはいたが、それでも欧州の脅威は消えたわけではなかった。独自に火砲の改良や欧州からの輸入により軍事力を蓄えてきたメリナ王国ではあるが、次第に技術力の差が如実に表れることとなる。そこで、第一次世界大戦前の1902年、メリナ帝国はフランスから火砲の専門家であり有名な設計者のフロランス・ジャンヌ・ド・ノルマンディーを招へいすることとなり、彼女の協力を得て20世紀初頭のマダガスカルの歴史における火砲の進歩は急速に近代化することとなったのである。メリナ帝国の国有企業だった兵器産業企業であるピレネウス社の所属となったフロランス・ジャンヌ・ド・ノルマンディーは、まず手始めに国産小銃の研究開発を開始。この1つが、カービン銃であるM1カービンである。このM1カービンはフロランス銃と非公式に呼称されることになるカービンであるが、この鋼鉄と木製部品を組み合わせた銃器は現場兵士から多大な支持を得ていた。特に短銃身の携帯性を損なわずに、従来の小銃にも匹敵する射程や威力を保持していたことには、現場からの大きな支持を得ていたという。
第二次世界大戦期になれば、カービン銃はメリナ帝国の主流の武器となっていた。ジャングルや高地など険しい地形が多いマダガスカルでは、それだけ移動の際にかさばらない銃器が好まれたのである。このかさばらない携帯性に優れた銃器は、部隊の戦闘力を大幅に向上させた。このころ採用されていたカービンであるM13アサルトカービンは、特に第二次世界大戦での主な敵国であったフランスに対しては、アンタナナリヴの戦いにおいて有効に使用されたと戦闘記録に残されている。メリナ帝国においてライフル銃と共に弾薬の共通化に成功したこの銃器は、単純な構造を有していたがゆえに戦争に際した生産力の衰えにも耐えることができ、アンタナナリヴの戦闘において弾薬の欠乏に対応することが可能だったために、補給の面でメリナ帝国軍の戦線を支えた。
この由緒あるカービン銃の最新版として、環インド洋海洋帝国連邦と改編された現在の我が国において2番目に正式採用されることになる次期小銃の能力においては複数の厳しい項目が設定されていたが、そのトライアルに参加していたXM21アサルトカービンは、そのトライアルを通過し採用に至った小銃となる。主に閉所での戦闘に供されるこの銃器は、海軍や海兵隊、特殊部隊の強力な武器として不動の地位を築いたのだった。
話を戻し、現在の環インド洋海洋帝国連邦領へ火砲が渡ってきたのは、欧州への伝来よりも早い12世紀ごろだと思われる。現在のメリナ人の遺伝グループを形成するアジア系民族の伝来が10世紀ごろには始まっており、この2世紀後には当時マダガスカルに建設されていた王朝との交易もあったことがわずかながら確認されている。この火砲の中でも、特に火槍と呼ばれるものが当時のマダガスカル人の注目を集めることになった。この火砲は当時マダガスカルに生息する野鳥の撃墜に効果的と判断されており、北部でとれる鉄資源も合わさって、弓矢なども含めて狩猟の道具として利用されてきたことが遺跡調査によって確認されている。この火砲の利用の歴史の中で、特に研究者の注目を集めているのは、マルガパパウラと呼ばれる短銃身の火砲であった。これは火槍の短縮バージョンであり、狩猟の際にかさばってしまう武器の携帯性を高めるために利用されたと考えられる。マダガスカルに複数存在していた王朝では戦争の道具としても利用されており、その痕跡も島のジャングルや高地に点々と見つけることができる。とはいえ、この火砲は西洋文化の流入により、最新のフリントロック式火縄銃に置き換えられることとなり、次第にマダガスカルの歴史から姿を消すこととなったのである。
西洋から西洋式の銃器が伝来したことでマダガスカルの火砲の歴史が大きく前進したことは言うまでもないが、ここで重要になるのは第一次世界大戦である。第一次世界大戦ではアフリカの国家ということもあり戦火を免れてきたメリナ王国ではあるが、決して安心していたわけではない。アフリカには欧州各国の列強による植民地支配が横行しており、過去のセーシェル、モーリシャスなども植民地支配の影響を受けていた。マダガスカルはメリナ帝国がとっていた富国強兵政策と攘夷運動が功を奏したことで植民地支配を回避してはいたが、それでも欧州の脅威は消えたわけではなかった。独自に火砲の改良や欧州からの輸入により軍事力を蓄えてきたメリナ王国ではあるが、次第に技術力の差が如実に表れることとなる。そこで、第一次世界大戦前の1902年、メリナ帝国はフランスから火砲の専門家であり有名な設計者のフロランス・ジャンヌ・ド・ノルマンディーを招へいすることとなり、彼女の協力を得て20世紀初頭のマダガスカルの歴史における火砲の進歩は急速に近代化することとなったのである。メリナ帝国の国有企業だった兵器産業企業であるピレネウス社の所属となったフロランス・ジャンヌ・ド・ノルマンディーは、まず手始めに国産小銃の研究開発を開始。この1つが、カービン銃であるM1カービンである。このM1カービンはフロランス銃と非公式に呼称されることになるカービンであるが、この鋼鉄と木製部品を組み合わせた銃器は現場兵士から多大な支持を得ていた。特に短銃身の携帯性を損なわずに、従来の小銃にも匹敵する射程や威力を保持していたことには、現場からの大きな支持を得ていたという。
第二次世界大戦期になれば、カービン銃はメリナ帝国の主流の武器となっていた。ジャングルや高地など険しい地形が多いマダガスカルでは、それだけ移動の際にかさばらない銃器が好まれたのである。このかさばらない携帯性に優れた銃器は、部隊の戦闘力を大幅に向上させた。このころ採用されていたカービンであるM13アサルトカービンは、特に第二次世界大戦での主な敵国であったフランスに対しては、アンタナナリヴの戦いにおいて有効に使用されたと戦闘記録に残されている。メリナ帝国においてライフル銃と共に弾薬の共通化に成功したこの銃器は、単純な構造を有していたがゆえに戦争に際した生産力の衰えにも耐えることができ、アンタナナリヴの戦闘において弾薬の欠乏に対応することが可能だったために、補給の面でメリナ帝国軍の戦線を支えた。
この由緒あるカービン銃の最新版として、環インド洋海洋帝国連邦と改編された現在の我が国において2番目に正式採用されることになる次期小銃の能力においては複数の厳しい項目が設定されていたが、そのトライアルに参加していたXM21アサルトカービンは、そのトライアルを通過し採用に至った小銃となる。主に閉所での戦闘に供されるこの銃器は、海軍や海兵隊、特殊部隊の強力な武器として不動の地位を築いたのだった。
1988年、ピレネウス社はM5アサルトライフルの技術的発展の余地が薄いと判断しており、さらに環インド洋海洋帝国連邦政府や軍からは次期小銃のトライアルがじきに来るであろうことを予測していた。それ以来、ピレネウス社はアーマライト社が製造していたAR-18小銃の研究開発を行っていたものの、この小銃の技術的発展の余地がM5アサルトライフルと共に小さいことは明白だと判断しており、企業の存続をかけて新たなアサルトライフルの製造に舵を切ることとした。
数年にわたる試作の末、ピレネウス社研究開発チームは、モルディブの企業であるエングリーブ社と研究開発を行い、XAR-3と呼ばれる試作小銃を製造した。この試作小銃はダイレクト・インピンジメント式、特にストーナー方式と呼ばれる 方式を採用したものであった。ストーナー方式は銃身にあるガス導入孔からガスチューブを通った発射ガスを直接ボルトグループに吹き付けて作動させるという方式から同じダイレクト・インピンジメント式の1種であるリュングマン方式と同じではあるが、作動機構の構成と構造が異なる独自の形式である。この方式はボルトキャリアを可動するシリンダーとし、ボルトキャリアに覆われる形で配置された遊底(ボルト)を固定されたピストン(内筒)、として利用している。ボルトとボルトキャリアの隙間はピストンリングによって密閉されており、ガスが流入した際に一定の圧力を確保する構造になっている。ガスチューブからの発射ガスがボルトキャリアの内部に充満し、既定値以上の圧力が生じるとボルトキャリアが後退、それによりボルトの固定が解かれてボルトも連動して後退する、という構造で、少量のガスでボルトグループを作動させられるため、DI方式の難点であった「発射薬の量が少なくガス発生量の少ない小口径軽量弾薬では確実な動作が保証されない」といった点を克服しており、ボルトグループの小型化が可能で、銃身とボルト、そしてボルトキャリアを同じ軸線上に配置することができるため、銃全体を小型化できる上、作動時の重心変動を最小限にできるために、体感反動が小さく命中精度の高い自動小銃とすることが可能である、という利点を持っていた。
反面、ボルトグループの内部にガスが流れ込むため、単純なDI式に比べて作動部品が汚損しやすく、構造上ボルトの後方に「バッファーチューブ」と呼ばれるリコイルスプリングを内蔵した筒を配置する必要があり、この部分がレシーバー後部に突き出す形になるため、レシーバー後端(ストックの根本)で左右に折り畳む方式のストックの装備が難しくなるというデメリットがある。確実な作動を求めるには頻繁かつ入念なクリーニングが必要で、手入れが不充分な場合には信頼性が著しく低下する、という問題もある。とはいえ、発砲の機会が少ない海軍や海兵隊、特殊部隊においては、この欠点は特に無視できるものと評価されており、この作動方式の採用が決定されたのである。とはいえ、同じ競合機種であったM20アサルトカービンで採用されていたロングストロークピストン式にも利点はあり、そちらとの競合結果においては、M20の重量がやや過大であったとの結果から採用は見送られることとなり、次期小銃のモデルがM21として正式採用されることとなったのである。
数年にわたる試作の末、ピレネウス社研究開発チームは、モルディブの企業であるエングリーブ社と研究開発を行い、XAR-3と呼ばれる試作小銃を製造した。この試作小銃はダイレクト・インピンジメント式、特にストーナー方式と呼ばれる 方式を採用したものであった。ストーナー方式は銃身にあるガス導入孔からガスチューブを通った発射ガスを直接ボルトグループに吹き付けて作動させるという方式から同じダイレクト・インピンジメント式の1種であるリュングマン方式と同じではあるが、作動機構の構成と構造が異なる独自の形式である。この方式はボルトキャリアを可動するシリンダーとし、ボルトキャリアに覆われる形で配置された遊底(ボルト)を固定されたピストン(内筒)、として利用している。ボルトとボルトキャリアの隙間はピストンリングによって密閉されており、ガスが流入した際に一定の圧力を確保する構造になっている。ガスチューブからの発射ガスがボルトキャリアの内部に充満し、既定値以上の圧力が生じるとボルトキャリアが後退、それによりボルトの固定が解かれてボルトも連動して後退する、という構造で、少量のガスでボルトグループを作動させられるため、DI方式の難点であった「発射薬の量が少なくガス発生量の少ない小口径軽量弾薬では確実な動作が保証されない」といった点を克服しており、ボルトグループの小型化が可能で、銃身とボルト、そしてボルトキャリアを同じ軸線上に配置することができるため、銃全体を小型化できる上、作動時の重心変動を最小限にできるために、体感反動が小さく命中精度の高い自動小銃とすることが可能である、という利点を持っていた。
反面、ボルトグループの内部にガスが流れ込むため、単純なDI式に比べて作動部品が汚損しやすく、構造上ボルトの後方に「バッファーチューブ」と呼ばれるリコイルスプリングを内蔵した筒を配置する必要があり、この部分がレシーバー後部に突き出す形になるため、レシーバー後端(ストックの根本)で左右に折り畳む方式のストックの装備が難しくなるというデメリットがある。確実な作動を求めるには頻繁かつ入念なクリーニングが必要で、手入れが不充分な場合には信頼性が著しく低下する、という問題もある。とはいえ、発砲の機会が少ない海軍や海兵隊、特殊部隊においては、この欠点は特に無視できるものと評価されており、この作動方式の採用が決定されたのである。とはいえ、同じ競合機種であったM20アサルトカービンで採用されていたロングストロークピストン式にも利点はあり、そちらとの競合結果においては、M20の重量がやや過大であったとの結果から採用は見送られることとなり、次期小銃のモデルがM21として正式採用されることとなったのである。


コメントをかく